最近、韓国特許法院は、審査過程で不明確な表現との拒絶理由を受け、出願人により特許請求の範囲から削除された「プロドラッグエステル」という用語に対して、『出願人は「プロドラッグエステル」が化合物の化学構造を特定できず、体内で母化合物に変わって薬効を示すという「機能的表現」に該当して拒絶理由が通知されたと解釈し、かかる「機能的表現」の削除により拒絶理由を解消したことがすべての「プロドラッグエステル」化合物を権利範囲から除外するという出願人の意思と見受けられない』と判断し、包袋禁反言の法理を適用しない旨の判決を下した(特許法院2022.2.17.宣告2020Heo5832判決;大法院に上告係属中)。
▶ 事件の背景
イ.本件特許及び審査経過
本件特許発明は経口用糖尿病治療剤として使用されるダパグリフロジン化合物()をはじめ、化学式Iの構造を有する新規な化合物に関するものである。
本件特許の審査過程において、審査官は、「化学式Iの構造を有する化合物、又はその薬学上許容し得る塩、立体異性体又はプロドラッグエステル」と記載されていた請求項1の発明に対して、『請求項1は、「プロドラッグエステル」というその対象を具体的な構造や成分等で特定しない不明確な表現が記載されているので、特許法第42条第4項第2号の規定に違反する』旨の拒絶理由を通知した。それ故、出願人は、請求項1における「プロドラッグエステル」という用語を削除しながら、同補正により当該拒絶理由は解消された旨の意見書を提出した。
かかる補正書及び意見書の提出後、本件発明は特許登録された。
ロ.消極的権利範囲確認審判
特許権者の競合他社であるジェネリック会社Aは、特許権者を相手取って自身が実施しようとする製品(以下、「確認対象発明」)が本件特許の権利範囲に属さないという判断を求める消極的権利範囲確認審判を請求した。確認対象発明は、ダパグリフロジンのプロドラッグエステル化合物であるダパグリフロジンギ酸塩
()であり、体内で母化合物のダパグリフロジンに変わって薬効を奏する。
本件では、確認対象発明が本件特許発明の均等範囲にあるか否か、特に確認対象発明が出願過程で意識的に除外されたと見なされるかどうかが問題となった。
特許審判院は、通常の技術者が本件特許発明のダパグリフロジンを確認対象発明のダパグリフロジンギ酸塩に変更することが容易であると認められず、ダパグリフロジンのプロドラッグエステルである確認対象発明は審査過程で本件特許から意識的に除外されたと解するのが妥当であるので、確認対象発明のダパグリフロジンギ酸塩は本件特許発明のダパグリフロジンの均等範囲にあると言えず、本件特許の権利範囲に属さない旨の審決を下した。特許権者は、これに不服して審決取消訴訟を提起した。
▶ 特許法院の判決
確認対象発明に特許発明の特許請求の範囲に記載された構成のうち変更された部分がある場合でも、(i)特許発明と課題の解決原理が同一であり(要件1)、(ii)特許発明と実質的に同一の作用効果を奏し(要件2)、(iii)そのように変更することがその発明の属する技術分野における通常の技術者であれば容易に想到できる程度であり(要件3)、(iv)特許発明の出願手続きを通じて確認対象発明の変更された構成が特許請求の範囲から意識的に除外されたものに該当する(要件4)等の特別な事情がない限り、確認対象発明は特許請求の範囲に記載された構成と均等なものであって、依然として特許発明の権利範囲に属すると見なすのが韓国大法院の確立した法理である。
特許法院の訴訟で両当事者は、均等論の要件のうち確認対象発明への変更が通常の技術者であれば容易に想到できる程度であるのか(要件3)、かつ、確認対象発明の変更された構成が意識的に除外されたのか(要件4)に対してのみ争った。
まず、変更の容易性可否(要件3)について、特許法院は、下記のような事情を考慮すると、本件特許発明のダパグリフロジンを確認対象発明のダパグリフロジンギ酸塩に変更することは、通常の技術者であれば誰でも容易に想到できる程度であると判断した。
(i) ダパグリフロジンのような医薬品の製剤開発過程で物性が改善されたプロドラッグスクリーニングは一般的に行われる。
(ii) 活性化合物のダパグリフロジンに存在するハイドロキシ基を選んでエステル形態のプロドラッグを作製することはプロドラッグの設計においてよく知られている。
(iii) ダパグリフロジンギ酸塩を作製するのに使用されるギ酸は、最も簡単な化学構造を有するカルボン酸であって、その選択に困難性がなく、従来にもギ酸塩エステル形態のプロドラッグを使用した例が多数あった。
(iv)ダパグリフロジンギ酸塩を化学的に合成するのに技術的困難性がない。
次に、変更された構成が意識的に除外されたか否か(要件4)については、特許法院は、次の事実を考慮し、特許権者が本件特許の権利範囲から確認対象発明のダパグリプロジンギ酸塩を意識的に除外しようとする意思があったと考え難いと判断した。
(i) 本件特許の出願当時に韓国特許庁の実務では、「プロドラッグ」という表現について、不明瞭であるとの理由で請求項に記載することを許容しなかった。
(ii) 本件特許の審査過程で、「プロドラッグエステル」がその対象を具体的な構造や成分などで特定しない不明な表現であるとの審査官の指摘に対して、特許権者は「プロドラッグエステル」は体内で母化合物に変わって薬効を示すという意味を含む、化学構造を特定できない「機能的表現」と判断されて拒絶理由が通知されたと解釈した。
(iii) 特許権者の意思は、かかる「機能的表現」を請求項から削除することで当該拒絶理由を迅速に解消しようとすることであり、すべての「プロドラッグエステル」化合物を権利範囲から除外して特許を受けようとする意図ではない。
そこで、特許法院は、確認対象発明は本件特許発明と均等関係にあるので、その権利範囲に属するとの結論に至った。特許法院の判決に不服したA社の上告は現在大法院に係留中である。